姓名: DuelJewel 英文名:- 性别:组合 国籍:日本 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-
DuelJewel(デュエルジュエル)は日本のヴィジュアル系バンド。1997年結成。
バンド名は宝石の衝突という意味であり、「個々の才能・個性をぶつけ合って何よりも輝く音楽を作ろう」という意味が込められている。なお、DuelとJewelの間にスペースは不要で、Duel Jewelではない。
ファンの事は「Jewelry(ジュエリー)」と呼ばれる。
1997年、当時同じ高校(明治学院東村山高等学校)の同級生だったShunとばるを中心に結成。その後メンバーチェンジを経て2002年にNatsukiが加入し、現在の編成になる。
Shunとばるは高校時代、隼人と祐弥は中学時代の同級生であり、ばるは自身のブログで祐弥と学年が同じであることを公言していることから、この4人は同学年である。Natsukiは2002年1月のバンド加入時に高校三年生であったことを公言しているため、4人より3学年下である。
ライブ、イベント等の日は悪天候である事が多く「嵐を呼ぶバンド」と呼ばれることがあり、メンバーもこれを認めている。2010年10月9日放送のREDNIQS(FM802)内でDuelJewelは今後ライブ続きでこの先一週間関西に滞在すると話に出た後に、DJの浅井博章から「この一週間はずっと雨?」「DuelJewelは相当雨を降らす、って」とコメントされている。
ばるが「たぶん普通のバンドだったら解散しているくらいの危機を5回くらい迎えているんです。何回も困難に直面したけどそれを乗り越えてやってきているぶん、ハンパじゃない絆がある。そこは大きな強みだと思います」と語るようにメンバー仲が良く、プライベートでは全員でスノーボードに出かけたり誕生日会やバーベキューを行うほか、2011年にシングル「Polaris」のレコーディングを合宿で行った際には朝から全員で温泉に行くなどしている。
2002年
5月31日~6月2日にアメリカ・テキサスで行われた「A-Kon 2002(英語版)」に出演。これはヴィジュアル系では初の海外進出である。
2003年
2月14~16日にアメリカ・ワシントンD.Cで行われた「Katsucon 2003(英語版)」に出演。
5月16~18日にシカゴで行われた「Anime Central 2003(英語版)」に出演。
5月30~6月1日にテキサスで行われた「A-Kon 2003(英語版)」に出演。
7月3~6日にロサンゼルスで行われた「Anime Expo 2003(英語版)」に出演。
2004年
5月28~31日にアメリカ・カリフォルニアで行われた「FanimeCon 2004(英語版)」に出演。
10月22~24日にテキサスで行われた「Oni-Con 2004(英語版)」に出演。
2006年
7月5日、エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズより初のメジャー流通シングル「azure」を発売。なお、混同されがちだがこれはメジャーデビューではない。
2007年
5月25日、アメリカ・ロサンゼルスのウィルターン・シアターで行われたYOSHIKI主催の「J-Rock Revolution Festival」に出演。このイベントには他にアリス九號.、ヴィドール、Kagrra,、雅-miyavi-、D'espairsRay、MERRY、girugämesh、ムックらが出演した。
7月11日、シングル「es」発売。本作から2009年発売のアルバム「REVIVE」まで全てのCD、DVD作品がユニバーサルミュージック流通となる。
10月31日付けでゼロレインジミュージックを契約解除し、翌11月1日よりSword Recordsに移籍。
2009年
10月25日、V-ROCK FESTIVAL '09に出演。
2010年
2月24日、ミニアルバム「Will」発売。本作を以ってSword Recordsを離れ独立。現在はセルフマネジメントで活動を続けている。
9月22日、自主レーベルDrop C# recordsよりミニアルバム「ZERO」を発売。
2011年
11月20日、昨今の活動において隼人が喉の異変や不調を訴えるようになり専門医の診察を受けた結果、医師より「今後の活動を見据えてしばらく治療に専念した方がいい」との進言を受け、2012年2月17日にShibuya O-EASTにて行われるLuminousツアーファイナル公演を目処に隼人を一時療養させる事が公式サイト及びメンバー全員のブログで発表された(症状の詳細についてはオフィシャルブログの隼人のコメントを参照のこと)。
隼人の療養中は「DuelJewelの活動を止めたくない」というメンバー全員の強い意志により活動休止はせず、隼人を除く4人でのライブ活動の継続に加え、4人による新曲「DICE」(メインボーカルは祐弥が担当)、「knot」、「ONE SHOT ONE KILL」の配信発売、韓国のロックバンドEVEのボーカリストKim Sehunとのコラボレーションアルバム「fusion」の発売、レギュラー番組「銀河国道348 ~私はネジになりたい~」の開始等、積極的に活動を続けた。
2013年
2月4日に行われたDuelJewel Shun&ばる生誕記念主催イベント「OUT OF CONTROL vol.2」で7月6日に日本青年館で行われるワンマン公演「anastasis」で隼人が復帰することが発表され、翌5日に公式サイトがリニューアルされた。
ライブで発表した意図について隼人は「この発表はメンバー五人で直接皆に伝えたかった。俺を信じて待ち続けてくれたメンバーと一緒に、俺の居場所を守り続けてくれたファンの皆に直接伝えたかった」とコメントしている。
メンバー
Vocal: 隼人(12月29日生まれ、B型)
ビブラートとファルセットを多用するボーカルスタイルが特徴。
独創的な絵を描くことから、「画伯」と評されることがある。
2008年よりテコンドーを始め、2011年の自身の誕生日直前に黒帯を取得している。
Guitar: Shun(2月3日生まれ、O型)
赤髪がトレードマーク。
愛称は「Shun様」。隼人からは「シュンポコ」、祐弥からは「シュンちゃん」と呼ばれている。
現在Creature Creatureで活動中のHIROを大師匠、Shinobuを師匠と慕っている。2008年放送の「V-STYLE“Move!!”」内で3人によるギターセッションを披露した。
Guitar: 祐弥(4月29日生まれ、A型)
愛称は「祐ちゃん」、「チャンユー」。
誤記されがちだが、「裕弥」ではなく「祐弥」である。
小学1年から6年まで、親に空手を習わされていた。
Bass: Natsuki(9月11日生まれ、B型)
愛称は「なっちゃん」。隼人からは「ナッシュ」と呼ばれている。
3歳から高校までピアノを習っていた。レコーディングでピアノを弾いたのは2007年発売のアルバム「BULLET」が初である。
Drums: ばる(2月4日生まれ、A型)
シンガポール生まれ。だが本人は純日本人である。
ばるという芸名は高校時代のあだ名によるもの。
ドラムを小出じろうに師事し、哲之(ジン)とは同門である。
結成以来リーダーがいなかったが、2010年にリーダーに就任。自主レーベルDrop C# recordsの代表も務めている。
旧メンバー
Bass: PSY(1997年1月 - 1998年7月)
Guitar: Takashi(1997年6月 - 1999年3月)
現在はギター講師をしている。
Bass: Ka-non(1999年1月 - 2001年12月)
パートチェンジ
ワンマンライブや主催イベントで時折、パートチェンジで演奏することがある。直近のものでは2013年2月4日に行われたDuelJewel Shun&ばる生誕記念主催イベント「OUT OF CONTROL vol.2」のオープニングアクトにDuelJewel feat. Wal名義で出演。
Vocal: ばる
Guitar: 隼人
Guitar: Natsuki
Bass: 祐弥
Drums: Shun
評価
メンバーが各々安定した演奏技術を持つことから「テクニカル集団」と評されることがある。
2011年5月26日に行われたCANTA主催イベント「MASTER STROKE!~A Night For The Restless Heart~」にてCANTA、EARTHSHAKERと共演した際に当日のMCでルーク篁(CANTA)は「(ギターを)結構ピロピロ弾くんだね。最近の若いバンドは速弾きやテクニックを使わないギタリストが多いから嬉しくなっちゃった」と評し、石原慎一郎(EARTHSHAKER)は自身のブログで「僕らの若い頃は人間としてどこか欠落してるような人がミュージシャンをしてたような気がするんだけど、彼らは礼儀正しく、音楽もカッコ良くて、男前とは凄過ぎる」とコメントしている。
2011年9月30日に行われた摩天楼オペラとのツーマンライブ「master mind ~take an oath~」に併せて行われたShunとの対談の中で苑(摩天楼オペラ)はDuelJewelへの印象として「超絶に上手い」、同じボーカリストである隼人への印象として「まず「上手い」っていうのが最初の印象からありました。あと、丁寧なんですよね。「入口と語尾が丁寧な方だな」っていうのは凄く思いました」とコメントしている。
逸話
隼人と祐弥は中学一年生の時に同じクラスであり、教室で隼人のひとつ前の席だったのが祐弥である。
Shunとばるの2人もまた、高校で同じクラスだったがばるは当初それを知らず、学内のチャペルで開かれた軽音楽部の入部希望者召集に行ったところShunが先輩と仲が良さそうな上にギターが上手かった様子を見て、ばるはShunの事をきっと先輩なのだろうと思っていたが、気がついたら同じクラスにいたという。その後Shunがばるに声を掛けて一緒に組むことになったが、ばる曰く、自分より上手いドラム志望がもう一人いた中でShunは当時ろくに叩けない状態だった自分に声を掛けてきたとのこと。
当時ヴィジュアル系を知らなかった学生時代の祐弥とばるにその存在を教えたのはそれぞれ中学時代の隼人と高校時代のShunである。
Shunとばるで母体となるバンドを作り、活動していく中で上手い人は確かにいたのだが「なんか違う、ヌルイ」「外でやらなきゃ上手くならねぇよ」ということで雑誌「GIGS」にボーカル募集を載せたところ、「物凄く汚い字が鉛筆で殴り書きしているハガキ」と「彼女と超イチャついてるプリクラをべったり貼ったハガキ」の2枚が届いた。ばると相談した上で「鉛筆の方」と会ったところ、待ち合わせ場所である高円寺駅の改札に立っていたのが隼人だった。Shunは改札を通る前に見えた「あいつだったら良いなって思った奴」が隼人だったと語り、後に隼人も同じ事を思っていた事を明かしている。
隼人と出会ったことでバンド一本でやっていこうと決めたShunはその後すぐに高校を退学した。Shunは当時の事を「いや、(高校を辞めることに)全く迷いはなくて。働きながらバンドをやろうと思ってたんで。そこまで決心させたのが、うちのボーカルなんですよ。その頃に隼人と出会って。それまでバンドっていうのは趣味でやれればいいやと思っていたし、自分で曲を書いて、詞を書いているだけで楽しかったんですね。でも、”あれ?この声だったらいけるんじゃねぇか?”と思って」と語っている。
Natsukiは加入後すぐにイベントツアーとアメリカツアーが決まっていたので即急に曲を覚えなくてはならず、その為にShunからDuelJewelのライブ映像を渡されるが、その映像はベースの音が全く聞こえないものだった。Natsukiは当時の事を「ひどいんですよ、これ。全然ベースの音が聞こえないんですもん。「これでどうやって覚えればいいんだ?」って状態で(苦笑)」と語り、そのような状況の中で最終的にNatsukiは1~2週間で約20曲を覚えた。